2011年08月30日

野田佳彦氏を第95代首相に指名 衆参両院

野田佳彦氏を第95代首相に指名 衆参両院産経新聞 8月30日(火)14時9分配信

衆院本会議の首相指名選挙で選出され起立する民主党の野田佳彦代表=30日午後、国会・衆院本会議場

 衆参両院は30日、菅内閣の総辞職を受けて首相指名選挙を行い、ともに民主党の野田佳彦代表(54)が首相に指名された。野田氏は党役員人事と組閣人事を行い、皇居での親任式などを経て正式に野田内閣が発足する。

 衆院では野田佳彦氏308票、谷垣禎一氏118票、山口那津男氏21票、志位和夫氏9票、福島みずほ氏6票、渡辺喜美氏5票、平沼赳夫氏4票、小沢一郎氏1票、海江田万里氏1、鳩山邦夫氏1票、横粂勝仁氏1票。投票総数は476、無効票1。

 参院議員では、1回目の投票で過半数に達した議員がいなかったため、野田氏と谷垣氏の決選投票となった。公明党が谷垣氏に投票したが、みんなの党などが白票を投じたため、野田氏が指名された。

 参院での回目の得票数は野田佳彦氏110票、谷垣禎一氏85票、山口那津男氏19票、志位和夫氏6票、渡辺喜美氏11票、福島みずほ氏5票、平沼赳夫氏3票、舛添要一氏2票。投票総数241、無効票0。

 決選投票では野田氏110票、谷垣氏107票、白票が24票だった。

非海江田で結集…岡田氏「描いたシナリオ通り」


タグ:野田佳彦
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非海江田で結集…岡田氏「描いたシナリオ通り」

非海江田で結集…岡田氏「描いたシナリオ通り」読売新聞 8月29日(月)21時19分配信

 29日の民主党代表選は、1回目の投票で1位だった海江田万里経済産業相を、野田佳彦財務相が決選投票で破る大逆転劇となった。

 首相を決める与党党首選で下位候補が決選投票で逆転に成功したのは、1956年の自民党総裁選で石橋湛山総裁が誕生して以来となる。歴史的にもまれな逆転劇の舞台裏を検証する。

 「決選投票になったら、『非海江田』で票を集中させたい」

 29日朝、国会内で開かれた菅首相グループの会合。座長の江田法相は約30人の出席者にこう呼びかけ、了承を取りつけた。

 菅グループは、代表選の対応を自主投票としていたが、菅首相の意向もあり、「反小沢」では一致していた。党内では「海江田氏が1位となるものの、過半数には至らない」との見方が大勢だった。

 「野田氏と前原誠司前外相の陣営はともに票の上積みに必死で、決選投票となった場合の戦略を立てるに至っていない」と見た江田氏は、野田、前原両陣営に「決選投票では野田、前原両氏のいずれか上位となった候補に投票する」という「海江田包囲網」を事前に打診し、両陣営も「当然の行動」と受け止めた。

 野田氏にとっては、逆転劇の主役を演じるには、1回目の投票で、前原氏を抑えて2位に躍り出なければならなかった。野田陣営は電話による投票の呼びかけも必死に進めた。党内に「前原氏が首相になったら、世論の支持を背景に早期の衆院解散・総選挙に踏み切るのではないか」との警戒感が広がっていたことは、野田氏が支持を伸ばすうえで、プラスに働いた。

 29日朝、「2位」への自信を深めつつあった野田陣営の藤村修幹事長代理は、鹿野道彦農相の選対本部長である大畠国土交通相に対し、決選投票での「野田、前原、鹿野連合」の実現を要請した。

 鹿野陣営には小沢グループの議員も多かったが、告示後には会合に顔を出さなくなったため、鹿野陣営は「小沢グループの引きはがし方はひどい」(大畠氏)と反発を強めていた。藤村氏の要請は、鹿野陣営に「あうんの呼吸」で受け入れられた。

 前原グループでも、仙谷由人代表代行(官房副長官)が、藤村氏や、野田選対の顧問に就任していた岡田幹事長と連絡を取り合い、決選投票での糾合に力を入れた。

 菅政権で「脱小沢路線」を推進した岡田氏は代表選終了後、周辺に笑顔でこう語った。

 「僕らが描いたシナリオ通りになったな」 最終更新:8月29日(月)23時57分

「野田新代表に頑張ってほしいが…」小沢元代表読売新聞 8月29日(月)17時0分配信

 民主党の小沢一郎元代表は29日、都内のホテルで開いた自らのグループ会合で、代表選で野田佳彦新代表が選出されたことを受け、「野田新代表には頑張ってほしいが、これからの態勢がどうなるのか、言葉だけの挙党一致なのかどうか見極めないといけない」と述べた。 最終更新:8月29日(月)17時0分

タグ:民主党
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2011年08月29日

民主党新代表に野田氏 あす第95代首相に指名へ

民主党新代表に野田氏 あす第95代首相に指名へ産経新聞 8月29日(月)14時33分配信

決選投票の末、新代表に選出され一礼する野田佳彦財務相

 民主党は29日、菅直人首相の後継代表を決める代表選挙を行い、野田佳彦財務相(54)が海江田万里経済産業相(62)との決選投票の末、新代表に選出された。野田氏はただちに党役員人事に着手し、30日の衆院本会議で第95代、62人目の首相に指名される。

 得票数は野田氏215票、海江田氏177票。投票総数は395、有効投票数は392で無効票は3だった。

 野田氏、海江田氏のほか前原誠司前外相(49)、馬淵澄夫前国土交通相(51)、鹿野道彦農相(69)の計5人が立候補した代表選は、1回目の投票でいずれの候補も過半数に達せず、野田氏と海江田氏による決選投票となった。

 1回目の得票数は前原氏74票、馬淵氏24票、海江田氏143票、野田氏102票、鹿野氏52票。有効投票数は395、無効票は0だった。

 海江田氏は約120人の党内最大勢力を率いる小沢氏や、鳩山由紀夫前首相の全面的な支持を受け、1回目の投票では最多の票を集めた。しかし、野田氏が、海江田氏を通じた小沢氏の影響力維持を懸念する中間派の支持を集め、決選投票では海江田氏の票を上回った。

野田佳彦(のだ よしひこ、1957年5月20日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、財務大臣(第14代)、花斉会(野田グループ)会長。 千葉県議会議員、民主党国会対策委員長(第7・10代)などを歴任した。現在、民主党代表(第9代)。

県議〜民主党代表選挙立候補
1957年(昭和32年)5月20日生まれ。千葉県船橋市出身。父は陸上自衛隊第一空挺団の隊員で、佳彦は長男だった。学生時代は立花隆に憧れてジャーナリストになることを希望していた。

1976年3月、千葉県立船橋高等学校卒業。1980年3月、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業する。

1985年に松下政経塾を1期生として卒業し、家庭教師、都市ガスの点検員、私設教育相談所長、青年政治機構副幹事長を経て、1987年千葉県議会議員選挙に立候補、各新聞社の選挙予想では「野田は独自の戦い」と泡沫候補扱いだったが、当時最年少の29歳で当選する。千葉県議は2期務める。

1992年日本新党結成に参加し、1993年第40回衆議院議員総選挙には日本新党公認で千葉1区から立候補し当選する。日本新党では副代表幹事などを務め細川内閣を支えるが、細川内閣の総辞職、新党さきがけや日本社会党の離脱に伴う羽田内閣の崩壊を経て、野党となった日本新党は解党し、同年新進党結党に参加する。

1996年第41回衆議院議員総選挙では全選挙区最小得票差の105票差で自民党の田中昭一に敗れ、比例代表への重複立候補もしていなかった(新進党においては原則として重複立候補は許されなかった)ため落選した(田中昭一:73,792票、野田佳彦:73,687票 野田の惜敗率99.85%)。

2000年第42回衆議院議員総選挙に民主党公認で当選し、国政に復帰する。民主党総務局長に就任。2001年民主党ネクスト・キャビネット(次の内閣)で行政改革・規制改革担当大臣に就任する。2002年8月菅直人、鳩山由紀夫の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため同じ松下政経塾の後輩に当たる前原誠司、松沢成文らと「第二期民主党をつくる有志の会」を結成。9月の代表選に立候補するにあたっては、前原との間でどちらが立候補するかで調整に難航するが、民主党若手議員を代表する形で野田が立候補する。代表選挙では敗北するものの、選挙戦を通じて認知度を得る。その後、鳩山代表に政策調査会長への就任を要請されるが、鳩山を支持するために代表選挙の出馬を取りやめた中野寛成の幹事長就任を「論功行賞」と批判し、就任を固辞する。

2005年第44回衆議院議員総選挙では千葉13選挙区の中で野田の選挙区である千葉県第4区のみ唯一民主党として自民党の藤田幹雄に944票差に迫られながら勝利した。

民主党幹部
2002年12月、民主党国会対策委員長に就任する。国対委員長としては、審議拒否をしない方針で国会運営に臨んだ(2003年11月退任)。

2004年5月、次の内閣財務大臣に就任する(2005年9月退任)。

2005年9月の総選挙で民主党が大敗し、辞意を表明した岡田克也党代表の後任選びでは前原誠司を推し、中堅、若手議員をまとめ前原勝利の一因を作る。当初は幹事長に就任予定だったが、菅直人が固辞した国対委員長に就任した。2006年2月に永田寿康が引き起こした堀江メール問題では、当初このメールの信憑性を疑わず永田を擁護する対応をとったこともあり、国会論戦の指揮監督をおこなう立場として責任を取り、同月に国対委員長を辞任した。 なお、このメール問題について、2008年に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では「普通の企業なら当然備わっている危機管理と統治能力がなかった」 、「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」が原因だったと指摘している。また、この事について、民主党の馬淵澄夫によると、辞任後に野田と東京・神楽坂のバーで飲んだ際「いやー、いろいろあったけど墓場まで持っていくしかねぇなー」と笑って話したという[1]。

国対委員長辞任後
科学技術政策ワーキングチームの座長として、宇宙の軍事利用の検討を行い、防衛目的の利用はできないという従来の政府解釈を転換し、非侵略での宇宙利用を容認する「宇宙条約」の締結を進める方針を示した。また、宇宙庁の設置に尽力している。

2008年8月、「本当の二大政党なら政策論争をしないと意味がない」と主張し、民主党代表選への出馬を表明したが、幹部の松本剛明に強く自制を求められるなど自らのグループを纏め切れず、更にいわゆるメール問題の張本人の一人である野田の立候補には全党的に反発が強く、推薦人(20人)確保の目処が立たず、出馬を断念した。これにより、小沢体制の継続が事実上決まった。これについて2008年9月7日放送の『たかじんのそこまで言って委員会』で立候補を断念した経緯を語った。

出馬断念の代償は大きく、民主党の次代を担う七奉行と呼ばれた野田は大きな打撃を受ける。結束力を誇った野田グループは出馬断念派と積極派に分裂して解散論も飛び出すほど脆弱な組織となり、馬渕澄夫は退会した。2009年5月の小沢辞任に伴う代表選挙では岡田克也を支援したが、鳩山由紀夫に敗れる。ただ、岡田が鳩山代表の下で幹事長に就任すると、幹事長代理として執行部入りし、復権を果たした。

鳩山政権
同年9月の鳩山由紀夫内閣の成立に伴い、防衛大臣就任が取り沙汰されたが、近著で集団的自衛権の行使を主張しているなど、党内や連立政権での意見対立を刺激することが懸念され、見送られた。野田の手腕を高く評価していた藤井裕久財務大臣の意向により、財務副大臣に就任。2010年1月に藤井が健康上の問題を理由に辞任すると後任候補の1人として名前が上がり[2]、藤井も野田を後任に推薦する意向だった[3]が、菅直人が国家戦略相から横滑りする形で副総理兼財務相に就任した。

菅政権

2010年11月6日、アジア太平洋経済協力財務相会合にて財務長官ティモシー・フランツ・ガイトナー(左)と2010年6月、鳩山首相が辞任を表明。鳩山内閣の財務大臣だった菅が後継首相となり、野田が副大臣から昇格する形で菅の後任の財務大臣に就任した。初入閣での財務相就任は初めての例であり、戦後の大蔵大臣を含めても比較的異例である。

同年8月20日、為替動向について記者会見で「重大な関心をもって注意深くみていく」と述べる一方、為替介入についてはコメントを避けた[4]。9月8日、円高について衆院財務金融委員会での答弁で「明らかに一方的に偏っている」とし、「必要なときには為替介入をふくむ断固たる措置をとる」「産業の空洞化にもつながりかねないということで、強い懸念をもっている」と述べた[5]。9月15日、政府・日本銀行が「円売りドル買い」の為替介入に踏み切ったことを発表。この介入により1ドル=82円台から1ドル=85円台に急落した[6]。10月8日、1ドル=81円台に上昇したことを受け「より一層重大な関心を持ってマーケットの動向を注視し、必要なときには介入を含めて断固たる措置をとるという姿勢に変わりはない」と述べた[7]。また同日ワシントンで開かれた先進7か国財務相・中央銀行総裁会議(G7)では為替介入について「批判的な意見は出なかった」と説明した[8] 。

2010年9月に発足した菅改造内閣では財務大臣に留任。2011年1月の内閣改造に際しては、内閣官房長官への横滑りも取り沙汰されたが、野田が財務大臣続投を強く希望したため、菅再改造内閣でも留任した。

民主党代表
2011年8月26日、2011年民主党代表選挙への出馬を正式に表明。8月27日に立候補を届け出て、8月29日の投票日を迎えた。

代表選挙の1回目の投票では102票を獲得して2位となり、1位の海江田万里候補との決選投票に決着が持ち込まれると、決選投票では395票中215票を獲得し、第9代民主党代表に選出された。

野田佳彦 - Wikipedia
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海江田、野田両氏で決選投票へ 民主党代表選

海江田、野田両氏で決選投票へ 民主党代表選 産経新聞 8月29日(月)13時33分配信

 民主党は29日午前、菅直人首相の後継代表を決める代表選挙を行った。立候補した前原誠司前外相(49)、馬淵澄夫前国土交通相(51)、海江田万里経済産業相(62)、野田佳彦財務相(54)、鹿野道彦農相(69)の5候補とも過半数に達せず、海江田氏と野田氏による決選投票となった。

 得票数は前原氏74票、馬淵氏24票、海江田氏143票、野田氏102票、鹿野氏52票。有効投票数は395、無効票は0だった。

 決選投票は引き続いて行われ、新しい党代表が決まる見通し。新代表は29日午後、ただちに党役員人事に着手し、30日の衆院本会議で第95代、62人目の首相に指名される。

 代表選に先立って両院議員総会が行われ、5候補がそれぞれ15分間ずつ演説を行った。

 海江田氏は約120人の党内最大勢力を率いる小沢氏や、鳩山由紀夫前首相の全面的な支持を受けている。野田氏は自らの議員グループを基盤に、海江田氏を通じた小沢氏の影響力維持を懸念する中間派に支持を拡大している。
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2011年08月26日

首相、退陣を正式表明「約束したように降りる」

首相、退陣を正式表明「約束したように降りる」読売新聞 8月26日(金)13時19分配信

民主党の役員会を終えた菅首相は、国会内で見学の小学生に向かって手を振った(26日午後1時18分、国会で)=田中秀敏撮影

 菅首相(民主党代表)は26日午後、国会内で開かれた民主党役員会で、退陣条件としていた特例公債法と再生可能エネルギー特別措置法が参院本会議で成立したことを受け、「約束したように代表の座を降りる。新代表が決まれば総理の座も辞す」と述べ、退陣を正式表明した。
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