2011年07月05日

松本復興相が辞任…「言葉荒かったのは不適切」

松本復興相が辞任…「言葉荒かったのは不適切」読売新聞 7月5日(火)9時19分配信

辞任の記者会見をする松本復興相(5日午前9時53分、東京・霞が関で)

 松本復興相は5日朝、菅首相に首相官邸で会い、辞任する考えを伝えた。兼務の防災相も辞任する。

 首相は慰留したが、最終的に了承した。

 松本氏は、東日本大震災の被災地の視察で3日、岩手、宮城両県知事に会った際、「知恵を出さないやつは助けない」などと述べ、宮城県知事が不快感を表明するなど、被災地で反発が広がっていた。野党は国会で、菅首相の任命責任を含めて追及する方針だ。政府の復興の取り組みへの影響も予想され、首相に対する退陣圧力がさらに高まるのは必至だ。

 松本氏は首相との会談後、内閣府で記者会見し、「被災者とは人一倍寄り添っているつもりだったが、言葉が足りなかったりして、被災者の心を痛めたことを本当におわび申しあげたい。言葉が足りなかったり、荒かったりしたのは不適切だった」と述べ、一連の発言を改めて謝罪した。

 辞任の理由を問われると、「個人的な理由なので話せない」と述べた。

 復興については「岩手でキックオフして、3日でノーサイドになった。相変わらず嫌いな与野党だが、心を合わせて復興に取り組みたい」と述べた。

 松本氏は、東日本大震災の復興に取り組む復興相に、防災相と兼務する形で6月27日に就任した。政府の「復興対策本部」(本部長・菅首相)の副本部長に就任した。

 首相は5日午前の閣僚懇談会で、「(松本氏の)意志が固いので、(辞表を)受理した」と報告した。 最終更新:7月5日(火)10時10分

松本龍(まつもと りゅう、1951年〈昭和26年〉5月17日 - )は、日本の政治家。民主党所属の衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災担当)。

部落解放同盟のナンバー2として知られる。

衆議院国会等の移転に関する特別委員長、衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)などを歴任した

福岡県福岡市出身。部落解放の父と呼ばれた松本治一郎の養孫。実家は養祖父の代からのゼネコン・松本組。自身も顧問を務める。

福岡市立馬出小学校から福岡市立福岡中学校、福岡県立福岡高等学校を経て中央大学法学部政治学科卒業。1980年、父松本英一(参議院議員)の秘書となる。

松本龍 (政治家) - Wikipediaasahi.com(朝日新聞社):松本復興相、岩手・宮城両知事にきわどい発言連発 - 政治

 松本龍復興担当相は3日、東日本大震災の被災地である岩手・宮城両県を訪ね、両県知事と会談した。前日の福島県に続く就任後初めての被災地訪問だが、被災者の感情を逆なでしかねない発言を連発した。週明けの国会で野党が追及する可能性もある。

 最初に訪れた岩手県庁の玄関前では、衛藤征士郎・衆院副議長からもらったというサッカーボールを持ち出し、「キックオフだ」と達増拓也知事に蹴り込んだが、達増氏は取り損ねた。

 会談では、仮設住宅の要望をしようとする達増知事の言葉を遮り、「本当は仮設はあなた方の仕事だ」と指摘。仮設住宅での孤独死対策などの国の施策を挙げ、「国は進んだことをやっている。(被災自治体は)そこに追いついてこないといけない。知恵を出したところは助けるが、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って」と述べた。また、「九州の人間だから、東北の何市がどこの県とか分からない」と冗談めかして話した。

 午後に訪問した宮城県庁では、応接室に後から入ってきた村井嘉浩知事に「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」と語った。被災した漁港を集約するという県独自の計画に対しては「県でコンセンサスをとれよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」などと厳しい口調で注文をつけた。

 松本氏は防災相から引き続き震災対応に当たることもあって村井氏は面会後、記者団に「地元のことをよく分かっている方が大臣に就任して喜んでいます」と述べた。しかし、ある県幹部は「被災地に来て、あの言動はない」と憤っていた。(山下剛、高橋昌宏)


posted by 夢見るまま at 11:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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